先日、東京ラーメンのルーツを辿る手前のメシ通連載「ラーメン系譜学」の新記事はUPされた。今回はこれまでのこってりから一転、つけ麺のルーツを辿るということで、代々木上原大勝軒にお邪魔した。

名門「大勝軒」のルーツはどこに?代々木上原のレジェンド2代目が語る、つけ麺誕生の秘密【ラーメン系譜学】
つけ麺というスタイルの元祖は東池袋大勝軒のもりそばと言われているが、山岸さんが中野大勝軒に在籍していた頃に従業員の賄いとして皆で作って食っていたものが中野大勝軒でメニュー化され初めて客に提供された。中野大勝軒はその後、本店の機能を代々木上原に移していて、中野の大勝軒はその支店という位置づけになっている。
確かに、後につけ麺と呼ばれるスタイルの食べ物が生まれた現場に山岸さんがいたことは間違いないが、中野で大勝軒を創業した坂口さんの店は代々木上原に移転してずっと営業を続けているので、後につけ麺と呼ばれる食べ物のスタイルが誕生した地、中野大勝軒のルーツという意味では、代々木上原大勝軒となるのが本筋だと思うのだ。
そういう想いがあって、その辺の詳しい事情を聞くべく、今回は代々木上原をセレクトしたというわけ。つけ麺というともうすぐ山岸さんでしょ? 間違いじゃないんだけど、元々の本家本元はどー思ってんのかってのがずっと引っかかってたのだ。
詳しくはメシ通の記事を読んでもらいたいが、山岸さんの特製もりそばっていうと、結構豚骨など動物系のダシが強く出て、スープが白濁してドロっとこってりしている。東池袋にあった頃でも後期はライトな方向にシフトして、元々の濃さを保っていた滝野川も初代の飯野氏が抜けて、またちょっと違う方になって、東池袋大勝軒もそんなにつけ汁が濃いという印象は持たれていないかもしれないが、それでも中野大勝軒に端を発する、丸長のれん会(公式サイトに【系譜図】あり)のつけそばに比べると全く性質を異にするつけ汁になっている。
東池袋が本来の濃さをキープして丸長がライトになったのか、それとも丸長のライトさが元祖の味に近いのか、それがハッキリしただけでも、今回のインタビューの大きな収穫になったと思う。
というわけで、現在の代々木上原大勝軒のつけそばについて、詳しくレポしてみたい。
代々木上原というと昨今は随分と小洒落た街のイメージが付いたが、実際に言ってみると古い商店街が駅から坂を上るように伸びていて、小田急や千代田線沿線の街に住む人の嗜好に合った店が、商店のあった場所に新たに入っていて、今の形ができたんだなと分かる。
そんな中の、今ではビルに建て替えられているが、店自体は街でも最も古くからある、代々木上原大勝軒へ。


大勝軒 代々木上原【食べログ】
★★★★☆ 4.5
東京都渋谷区上原1-17-11
入口脇には持ち帰り用の窓や手書きの定食メニューが並び、ラーメン専門店といより中華食堂的な雰囲気。
1Fは右手にカウンターが伸び、左手にテーブル席が沢山並ぶという、正しく中華屋や食堂といった趣き。

今回2Fにお邪魔することになったが、2Fは多人数スペースで小上がりもあり、まるで居酒屋のよう。

席につき冊子状のメニューを開くと、麺類の他定食や炒め物などの一品物がズラリと並ぶ、まさに食堂というラインナップ。



さらにアルコール類も充実し、居酒屋に迫るメニューの豊富さ。しかもどれも異様に安い。代々木上原という街にいるのを忘れてしまいそうだが、こっちが本来の姿なのだろう。
ちなみに、中野の店はラーメン・つけそばの専門店で、こっちが中華食堂的な役割を担っている。丸長系はラーメン専門店というより町中華スタイルの店が多いのも、こういうところから何となく窺い知れる。
さて、注文した一番シンプルな、つけそば太麺¥520+税を頂くとしよう。

器が大きいが、つけ汁自体の量は少なめ。それでも麺はデフォで200gあり、これで520円は驚き。

まず麺から頂く。細麺も選べるが、太麺は中太で柔らかめのソフトな触感ながら、粉の風味がしっかり感じられる、優しくも主張のある味わい。東池袋のちょっと玉子っぽいようなツルツルの感じとは別モノ。あれはあれ、これはこれだが、この値段でこの麺が食えるのは贅沢。麺だけで幾らでも食えそう。

つけ汁は、他の丸長のれん会【参照過去記事:栄楽】は元より、西台などの丸長系大勝軒【過去記事】と比べても色味が薄い。元々、単にラーメンと麺とスープに分けだけのような見た目のつけそばで、西台や勝田台のようにつけ汁だけ醤油が濃いめだったり、目白のように酢が効いていたりしているが、ここのはタレもかなりラーメンよりのバランス。麺が単体で味わいあるだけに、つけ汁としては正直弱いように感じる。信州中野の丸長でもそうだったが、好みで濃いめに出来るので、そこは地域性というか客層(こういう作りなのでファミリーや年配も多い)に合わせていて、濃いのがいい人は濃い目で頼んでねってことなのだろう。今度来たら絶対濃いめだ。

具はネギやメンマの他、短冊切りされたチャーシューもちゃんと入ってる。麺と絡めても食べやすくこう切ってあるのだと思うが、つけ麺にはこういうのが合うね。赤身の柔らかいのの適度にムチッと歯ごたえのある食感が、肉の旨みが感じれられていい。
と、ここまでは東池袋や濃いめの丸長に慣れているからか、つけ汁が物足りなかったが、最初からポットで出される割りスープを入れると事態は大きく変化する。

シンプルながらキチンと取られた動物系と野菜のダシがじんわりと感じられるようになり、グンと俄然旨みが増す(大勝軒のHPにレシピがビックリするほど明らかになっている【大勝軒のこだわり】)。ポットにたっぷり入ってるので、たくさん割ってスープ割りを堪能。
そして空になったつけ汁の器に、余った割りスープを投入。

基本ダシ自体に味はないはずだが、ふんわりとした味が感じる。これ単体で全然飲める! こういうのが自分は好みなんだよなぁ〜
ちなみに、持ち帰りもできる。こんな感じ(写真は2人前)。

ラーメン細麺¥520+税も頂いたが、こっちはダシとタレのバランスが取れてて、さっぱりした中に一口でダシの味わいが感じられる。

麺は細麺にしたが、細くても自家製の風味が生きてるし、最初はラーメンでこちらの基本の味を知るのもいいかも。ちなみに背脂は代々木上原店のみのオリジナルだそう。
インタビューの中で坂口氏は、つけそばの基本はこの代々木上原店のが創業当時から変わらない基本形だが、まるきり創業当時の味ではなく、食糧事情が良くなるとともに、現代風に材料を贅沢に使うなど、変化はしているという(当時まんまの味だったら今の人は食べられないだろうといっていた)。それでも、この基本形のさっぱり味は、昨今のつけ麺の基準(たぶん青葉武蔵以後ということだろう)からすれば物足りない、薄く感じられるのではないか、ということを仰っていた。確かにその側面は多分にあるだろうが、このスープ割りを飲んで、つけ汁を好みの濃度にして、割りながら愉しめば、今でも十分通用すると思うし、基本のスープの旨みがあるのだから、それさえあれば絶対に廃れない味だと確信が持てた。
現状の万人向けのスタイルを一口だけで一蹴せず、どうか色々自分好みの味を探るように楽しんで頂きたい。炒め物の定食も飲み利用も試してみれば、つけそばの間口の広いスタイルも自ずと理解できるだろう。ただ1つにこだわるだけでない、こういう生き残り方・歴史の続き方もあるのが、ラーメンの多様性ではないだろうか。
いやはや、いい体験が出来た。しみじみウマシ! ご馳走様でした。
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名門「大勝軒」のルーツはどこに?代々木上原のレジェンド2代目が語る、つけ麺誕生の秘密【ラーメン系譜学】
つけ麺というスタイルの元祖は東池袋大勝軒のもりそばと言われているが、山岸さんが中野大勝軒に在籍していた頃に従業員の賄いとして皆で作って食っていたものが中野大勝軒でメニュー化され初めて客に提供された。中野大勝軒はその後、本店の機能を代々木上原に移していて、中野の大勝軒はその支店という位置づけになっている。
確かに、後につけ麺と呼ばれるスタイルの食べ物が生まれた現場に山岸さんがいたことは間違いないが、中野で大勝軒を創業した坂口さんの店は代々木上原に移転してずっと営業を続けているので、後につけ麺と呼ばれる食べ物のスタイルが誕生した地、中野大勝軒のルーツという意味では、代々木上原大勝軒となるのが本筋だと思うのだ。
そういう想いがあって、その辺の詳しい事情を聞くべく、今回は代々木上原をセレクトしたというわけ。つけ麺というともうすぐ山岸さんでしょ? 間違いじゃないんだけど、元々の本家本元はどー思ってんのかってのがずっと引っかかってたのだ。
詳しくはメシ通の記事を読んでもらいたいが、山岸さんの特製もりそばっていうと、結構豚骨など動物系のダシが強く出て、スープが白濁してドロっとこってりしている。東池袋にあった頃でも後期はライトな方向にシフトして、元々の濃さを保っていた滝野川も初代の飯野氏が抜けて、またちょっと違う方になって、東池袋大勝軒もそんなにつけ汁が濃いという印象は持たれていないかもしれないが、それでも中野大勝軒に端を発する、丸長のれん会(公式サイトに【系譜図】あり)のつけそばに比べると全く性質を異にするつけ汁になっている。
東池袋が本来の濃さをキープして丸長がライトになったのか、それとも丸長のライトさが元祖の味に近いのか、それがハッキリしただけでも、今回のインタビューの大きな収穫になったと思う。
というわけで、現在の代々木上原大勝軒のつけそばについて、詳しくレポしてみたい。
代々木上原というと昨今は随分と小洒落た街のイメージが付いたが、実際に言ってみると古い商店街が駅から坂を上るように伸びていて、小田急や千代田線沿線の街に住む人の嗜好に合った店が、商店のあった場所に新たに入っていて、今の形ができたんだなと分かる。
そんな中の、今ではビルに建て替えられているが、店自体は街でも最も古くからある、代々木上原大勝軒へ。


大勝軒 代々木上原【食べログ】
★★★★☆ 4.5
東京都渋谷区上原1-17-11
入口脇には持ち帰り用の窓や手書きの定食メニューが並び、ラーメン専門店といより中華食堂的な雰囲気。
1Fは右手にカウンターが伸び、左手にテーブル席が沢山並ぶという、正しく中華屋や食堂といった趣き。

今回2Fにお邪魔することになったが、2Fは多人数スペースで小上がりもあり、まるで居酒屋のよう。

席につき冊子状のメニューを開くと、麺類の他定食や炒め物などの一品物がズラリと並ぶ、まさに食堂というラインナップ。



さらにアルコール類も充実し、居酒屋に迫るメニューの豊富さ。しかもどれも異様に安い。代々木上原という街にいるのを忘れてしまいそうだが、こっちが本来の姿なのだろう。
ちなみに、中野の店はラーメン・つけそばの専門店で、こっちが中華食堂的な役割を担っている。丸長系はラーメン専門店というより町中華スタイルの店が多いのも、こういうところから何となく窺い知れる。
さて、注文した一番シンプルな、つけそば太麺¥520+税を頂くとしよう。

器が大きいが、つけ汁自体の量は少なめ。それでも麺はデフォで200gあり、これで520円は驚き。

まず麺から頂く。細麺も選べるが、太麺は中太で柔らかめのソフトな触感ながら、粉の風味がしっかり感じられる、優しくも主張のある味わい。東池袋のちょっと玉子っぽいようなツルツルの感じとは別モノ。あれはあれ、これはこれだが、この値段でこの麺が食えるのは贅沢。麺だけで幾らでも食えそう。

つけ汁は、他の丸長のれん会【参照過去記事:栄楽】は元より、西台などの丸長系大勝軒【過去記事】と比べても色味が薄い。元々、単にラーメンと麺とスープに分けだけのような見た目のつけそばで、西台や勝田台のようにつけ汁だけ醤油が濃いめだったり、目白のように酢が効いていたりしているが、ここのはタレもかなりラーメンよりのバランス。麺が単体で味わいあるだけに、つけ汁としては正直弱いように感じる。信州中野の丸長でもそうだったが、好みで濃いめに出来るので、そこは地域性というか客層(こういう作りなのでファミリーや年配も多い)に合わせていて、濃いのがいい人は濃い目で頼んでねってことなのだろう。今度来たら絶対濃いめだ。

具はネギやメンマの他、短冊切りされたチャーシューもちゃんと入ってる。麺と絡めても食べやすくこう切ってあるのだと思うが、つけ麺にはこういうのが合うね。赤身の柔らかいのの適度にムチッと歯ごたえのある食感が、肉の旨みが感じれられていい。
と、ここまでは東池袋や濃いめの丸長に慣れているからか、つけ汁が物足りなかったが、最初からポットで出される割りスープを入れると事態は大きく変化する。

シンプルながらキチンと取られた動物系と野菜のダシがじんわりと感じられるようになり、グンと俄然旨みが増す(大勝軒のHPにレシピがビックリするほど明らかになっている【大勝軒のこだわり】)。ポットにたっぷり入ってるので、たくさん割ってスープ割りを堪能。
そして空になったつけ汁の器に、余った割りスープを投入。

基本ダシ自体に味はないはずだが、ふんわりとした味が感じる。これ単体で全然飲める! こういうのが自分は好みなんだよなぁ〜
ちなみに、持ち帰りもできる。こんな感じ(写真は2人前)。

ラーメン細麺¥520+税も頂いたが、こっちはダシとタレのバランスが取れてて、さっぱりした中に一口でダシの味わいが感じられる。

麺は細麺にしたが、細くても自家製の風味が生きてるし、最初はラーメンでこちらの基本の味を知るのもいいかも。ちなみに背脂は代々木上原店のみのオリジナルだそう。
インタビューの中で坂口氏は、つけそばの基本はこの代々木上原店のが創業当時から変わらない基本形だが、まるきり創業当時の味ではなく、食糧事情が良くなるとともに、現代風に材料を贅沢に使うなど、変化はしているという(当時まんまの味だったら今の人は食べられないだろうといっていた)。それでも、この基本形のさっぱり味は、昨今のつけ麺の基準(たぶん青葉武蔵以後ということだろう)からすれば物足りない、薄く感じられるのではないか、ということを仰っていた。確かにその側面は多分にあるだろうが、このスープ割りを飲んで、つけ汁を好みの濃度にして、割りながら愉しめば、今でも十分通用すると思うし、基本のスープの旨みがあるのだから、それさえあれば絶対に廃れない味だと確信が持てた。
現状の万人向けのスタイルを一口だけで一蹴せず、どうか色々自分好みの味を探るように楽しんで頂きたい。炒め物の定食も飲み利用も試してみれば、つけそばの間口の広いスタイルも自ずと理解できるだろう。ただ1つにこだわるだけでない、こういう生き残り方・歴史の続き方もあるのが、ラーメンの多様性ではないだろうか。
いやはや、いい体験が出来た。しみじみウマシ! ご馳走様でした。

コメント
コメント一覧 (6)
それにしても、客がいるのに従業員同士で口喧嘩してる店ってどんだけ劣悪なのかしらね(まだ根に持ってるんかい)。
それはそうと(まだあるんかい)K部さん、やっぱりラーメン屋さんのほうがいいんじゃないかしら。前に「体力が〜」って書いてらっしゃったけど、そんなのあとからついてくるんじゃないかしら?(余計なおせっかいメンゴ)
お返事、激烈に遅くなってスミマセヌm(_ _)m
夫婦喧嘩が常態になって、コントみたいでそれを客が楽しんでるパターンもあるので、正解がないのが街場の店の魅力かもしれませんね。
喫茶店でさえヘロヘロで体力的にマズいことになってるのに、ラーメン屋なんてとんでも!! 飲食店で働いてる人の体つきを間近で見たり、スポーツ選手でもそうですけど、根本的に身体の出来が違うんですよ。成人までの人生の歩みが全く違うんですね。そこまでである程度の仕事ができる幅が決まってきます。よっぽど筋トレするなり体質改善したら変わるでしょうけど、自分にはそれやる懐具合も時間も気もないですし(体力面に関しては全くセンスが無いので、普通の人ができるようになるまでの3倍も4倍も時間がかかるので、体質改善出来る頃には80〜90歳になってることでしょう)。
そういう人だって、ラーメン屋やると何人も体壊してまともに仕事できない身体になってる人いますし、死んでる人までいますから。メシ通のインタビューをするようになって、ますます自分にはムリだと思ってます(そういうことを文章にして伝えることが自分にできるせめてもの飲食にまつわれる仕事かなと)。体力ない上に商売のセンスもないのは骨身にしみてますので、誰かがボクの生活を保証してくれることでもない限り、商売一本では絶対にやりません!!
これからも食にまつわる好奇心あふれる記事を楽しみにしております!
いえいえ、食べる側は店の側の事情なんて本来知る由もないことですから(自分もラーメンに関しては基本は食べる側ですし^^;)、お客さんが気にすることではないと思いますが、自分が見てきたり経験したことから思うに至った経緯だけはお知らせした方が良いのかなと文脈上判断し、ツラツラ書かせて頂きました。
こちらこそ生意気言って、失礼しました。
これからも、ペースが上がったり下がったりすると思いますが、気楽にお付き合い下さいm(_ _)m
と思いきや、実は35年前に訪問してました(笑)
学生時代。あの坂の上に友達の下宿があり、そこに泊った翌日、昼飯に入って
ニラ玉定食を注文して、やたらと美味かった記憶がずっと残ってました。
もう一度食べたかったのですが、店名は忘れてしまったし、随分前のことだから
もう閉店してるだろうと。
しかし昨日、偶然飲みの〆に入店したら、当時の記憶がよみがえった次第で。
あのニラ玉の美味い店は大勝軒だったのかと。
もちろん、ニラ玉注文しました。当時と変わらぬ美味さでした。
おおっ、上原行かれましたー!?
しかもかなり前に嗜んでいたとは!
学生の時のそういう記憶って蘇ってくるもんですね。
しかもニラ玉ってのが、あすこの大勝軒らしい^ ^