先日、現代ビジネスの新記事がUPされた。
今回も【Yahoo!ニュース】になったのだが、コメントはまぁ平穏無事というか無風状態だった。というのも、前回ラーメン1杯1000円という記事【前回記事】をUPして荒れたので、その口でワンコイン万歳みたいなこというか?という反応が出るかと思ったからだ。
多分、最後まで読んで、ライター名までチェックしている人間が少ない上、前回記事と同一人物かまで調べる人間がいなかったのだろう。それはそれで、自分の職業人としての資質が問われるので、危機ではあるのだが。
ともかく、前回は当ブログでもラーメン1杯の価格の底上げという記事を書いておきながら、なぜワンコインの恩恵は甘んじて受けるような内容にしたのか、誰からのツッコミはないものの一応説明しておきたい。
結論からいえば、店側がワンコインでいいと言っているのなら、そのまま受け入れればいんじゃないかって話。この一語に尽きるのだが、それでは話が終わってしまうので、もうちょっと詰めてみよう。
客単価では大差ない?
記事に書いたように、多くのラーメン専門店と違って、ラーメン一杯ワンコイン以下を実現している中華チェーンや町中華は、客単価をラーメン一杯だけで成り立たせていない。
それで比較すると、都心でラーメン一杯700〜800円する店がイコール客単価としたら、中華チェーンでの客単価は同等かそれ以上となる。専門店もトッピングやサイドメニュー頼む客もいるから、客単価としたらもうちょっと800〜900円くらい行くかもしれない。
なんにしても大体トントンくらいのレベルだと思う。中華チェーンは店の面積が広めで従業員も多く、地代や人件費、それに本部が持っていく分もあって出るものが大きい気がするが、1日で捌く客は多いだろうし、原材料費は専門店のほうがかかってるだろう。
そう考えるとますますトントンくらいかなと思えてくる。とすれば、ラーメン一杯で客単価に当たる800円近くを得られなければならい専門店が高いと言われ、他のメニューと合わせた単価を求める中華チェーンのラーメン500円が安いとか相応と言われてしまう。
ここにどうしても不公平感を抱いてしまうし、メディアで発信する立場の人間が余りこの点を声高に発信していないように思えてならない(ラーメン界からはだいぶ遠ざかっているので、そういうことを積極的に発信している人がいたら教えてほしい)。
一般の人は、直感的にラーメン一杯の値段で比較してしまうが、いやそうじゃなくてって部分をラヲタなり、ラーメンで情報を発信しているライターなりがもっと言って、理解してもらうようにしないと、いつまで経っても、昔ながらの醤油ラーメンはよかった的な話に帰結してしまう。
だから、そもそも中華チェーンや町中華などと、ラーメン専門店は出してる商品も商売の仕方も違うんだよと、『東京ラーメン系譜学』などにも書いてきた(なのに未だに書評で「こってりラーメンに偏ってる」とか書かれるしね。専門店というものが如何に確立されていったかを辿る以上そうなるって書いてるのに)。
よくよくお店で周囲を見渡せば、ラーメン一杯だけさっさと食って帰ってる店なのか、それとも複数人で来て皿をシェアしたり、一人客でもアルコール飲んだりして少しは長居してる客が多い店なのか分かると思うんだよね。
だからテーブル席が多いのかとか、入ってスグ食券じゃなくて客席から注文できるのかとか、店のサービスの違いで店の作りからメニュー構成などが専門店と中華チェーンで違ってくるのも納得が行くと思うんですわ。
そしたら、ラーメン一杯で利益を出さないといけないのかそうでないのかも自ずと見えてくるし、ラーメン一杯に掛けられる労力も違って当然でしょと。
どっちを好むかは行く人が決めればいいわけで、どっちで出してるラーメンが正しいとかそういう問題ではないのは明らかなはず。
専門店はこういう食材をどれだけ使ってみたいなアピールの仕方になっていくし、中華チェーンはあっさりした昔ながらのラーメンがこの値段で!みたいな売り方になってくる。
そこで、一杯のラーメンとしての価値がどうこうということになってしまいがちだが、ラーメンという商品の立ち位置が違うことが分かっていれば、単純に同じ商品としては比べられないことが見えてくる。
とはいえ、どうしてもラーメン一杯いくらで比べられてしまうのは、ワンコインというものに対して絶対的価値を見出してしまうからではないか。
ワンコインという幻想
前回ラーメン一杯1000円の記事でも書いたが、20〜30年前の500円と今の500円の価値は違うはずだ。なのに昔の価値のままの一杯500円程度のものとラーメンを見なしてしまうのは、経済的にデフレが続いたとはいえ、頭の中で一杯500円程度という価値感が固着してしまいアップデートされないままでいるので、今現在で500円以上すると高いと思ってしまう。
コスパという言葉があるが、コストというのはその時代に応じた物価に伴う材料費や最低賃金などから従業員の人件費等々を勘案して価値を判断するべきなのに、安い値段の割にボリュームがあるだけのものを指しがちで、その安いという概念がワンコインというイメージに近寄っている印象がある。
価格が時代とともに移ろう相対的なものであるはずなのに、何十年も固着した500円という絶対的価値に引っ張られてしまっている。それがワンコインというワードの持つ意味合いな気がしてならない。
仮に、20年に500円の価値があるものだったとして、それが現在も500円だったとしたら、当時の価値でいえば、300〜400円程度のものとなってしまう。
これはらーめん中村屋の中村さんとのYOUTUBE対談の最後で言ったことで、当時の500円の価値のものを販売しつづけたなら、700〜800円になるのは安いくらいで、それ以上の価値のものを創出できたら、1000円だって決して可笑しい数字ではないという主旨だ。その意味で、底上げしなくてならないと前回記事で書いた。
ラーメン専門店が客単価1000円となったなら、中華チェーンだって客単価1000円となってもおかしくないわけで、でもそれって現状と大して変わらない。だったらラーメン500円はそのままかもしれない。他の価格との兼ね合いで、一品料理とかが若干高くなるかもしれない。それだったら、中華チェーン高いとはならないでしょ。
とはいえ、昨年消費税も上がって、材料費も年々高騰しているはずだから、このままワンコインを維持するのもキツイにはキツイはず。
それで、全体的に少し値上げしますとかってなった時、ラーメンがワンコインで提供できなかったら、客は離れるだろうか?
中華チェーンのラーメンだったからこそ、ワンコインが妥当として消費していた客は、離れる可能性が高い。
色んなものを注文する業態とはいえ、ラーメン一杯だけでもOKだったからそれで通っていた客もいるわけで、そういう人も含めて平均の客単価だったわけだから、その人が他にワンコインやってる店に流れたら、これまで得られていたワンコイン分の利益を失ってしまう。
これをやったのが幸楽苑で、2015年、290円だったラーメンを520円にして客足が大幅に遠のいた。520円ってワンコインに限りなく近いが、幸楽苑ユーザーにとってラーメンは300円の価値だったから、それが1.5倍以上になったから、感覚的には500円のラーメンが800円近くになったようなもの。
(ロードサイドで主に展開する幸楽苑※写真は和光新倉店)
再び値下げし、現在は440円だが、今年1月に不採算店51店舗を閉鎖と発表された。19年夏まで好調だったが、台風19合の影響で下り坂になったことが理由という。そうなると、このコロナ禍でますます厳しい状況になることが容易に想像できる。
一度、低価格のイメージが固着すると、マクドナルドだって一時グルメバーガー路線に切り替えようとして頓挫したくらいだから、脱却するのは至難の業。客がその店に行く理由が安いから、になってしまうからだろう。安くなくなれば、別の安い店にいく。その客にとって、ハンバーガーは100円、ラーメンは500円といったワンコインという絶対的価値に紐付けされた時点で、価格が相対的な価値ではなくなってしまう。
安さでアプローチする店の限界
結果として実情に見合うワンコインならいいが、見合わないけど客の頭に固着したワンコインのイメージに乗じて、ワンコインなら客が釣れる的に価格設定したなら、限界があって破綻して当然だろう。その責任を当然客側が追う筋はない。
ラーメン以外のものも総じて客単価で700〜800円としている商売なら、そこに500円以上をラーメンで補うには、材料から何からコストを掛けなきゃいけないし、それに見合うものを現行のシステムで作れて、なおかつファンを納得させられるのか?
ほぼほぼ無理な気がする。だって、そうなると専門店と同じ土俵になるから、安いだけがアドバンテージにならない。物価の上昇とともに全体の価格を上げたら、今度は少し高級めの中華料理店とかが相手になってくる。
牛丼チェーン同様、デフレ時代に固着した絶対的価値を持つ層にアプローチした段階で、限界が見えているのかもしれない。
では中華チェーンのベースとなった商売で似たような客単価となる町中華の場合どうなのか。
町中華は特段、大々的にワンコインを謳ったわけではなく、大まかな価格帯は似ていても店それぞれに価格も異なれば商品点数も種類も違う。
大局を見れば、低価格帯ではあれ時代とともに徐々に値上げしていってるし、なにより安いだけで町中華が選択されているわけではない。安さを求めればそれこそ中華チェーン等いくらでもある。
そこにはやっぱり、味だったり居心地だったり人だったり雰囲気だったり、人それぞれ見出している価格以外の価値があるはずだ。それがあるから、少々値上げしても行くわけだし、店に対して安すぎるから値上げしなよ、という意見さえ出てくる。でなければ、町中華で飲ろうぜも孤独のグルメも成立しない。
こうした個人店ならではのバリューは、どこにでもありそうだけどそこでしか味わえないから生じるもので、ここがFCチェーンとの決定的な差なように思えてならない。
もちろん、チェーン系のほうが落ち着くという人もいっぱいいるとは思う。なら、同じチェーンでも、赤羽店はイマヒトツだけど、中野店は落ち着く、ということなんてあるのだろうか。これが結構ある。店の規模だったり立地だったり、デキる店員がいるとか要素は色々だけど、このブレって本来チェーンではなくしたほうがいいものであって、このブレ幅を良しとしているのが町中華とかの個人店ではないか。
狭くて少々乱暴な接客のほうがいい人もいれば、席にゆとりがあってアットホームな方がいい人もいる。それぞれに良さがあって、オレはこっちのほうがしい、あたしはあっちのほうが好きって選べる、それが店のバリューになってるんじゃないかと。
中華チェーンにバリューはあるのか
味でもなんでもいいんだけど、何かしらのその店ならではのバリューがあれば、店のやっていることに見合った価格、欲を言えばプラスアルファくらいの値段をつけたところでお客さんは離れないんじゃないか。
その意味で、個人レベルの町中華やラーメン専門店は時代に合わせて、ワンコインなどといった固定した価値に引っ張られず、物価等に見合った値段を堂々とつけてほしい。それが結果底上げとなって、よりサービスが向上して、従業員が労働に対して報われる対価を受けるようになるべきじゃないかと。
で、中華チェーンはどうかとなると、正直わからないし、ぶっちゃけ興味がない。散々記事書いといて申し訳ないけど、個人的にはそこまでのバリューを見出してないし、ワンコイン的価値を求める層をターゲットにした以上、もうずーっとその層を相手に商売するしかないんじゃないか。
この度の記事を書くにあたって幸楽苑でラーメン食べたけど、440円とは思えないクオリティではあった。
工場スープ臭くないというか、600円くらいで専門店で出てきてもおかしくはないとは思った。でも、それで本当に専門店で商売になるかというと、初めは食いついても、ずっとは難しいかと。
クセになる要素はないから、ハマるという感じじゃない。皆そこそこ美味しいとは思ってもしょっちゅう行かないから、その味一本でずっとの集客は限界がある。他のメニューも充実している部分も大きい。ただ、やはり安いからであって、600円したら値上げ前の値段で通ってた人は、以前と同じ頻度で通うだろうか? それは以前の値上げが証明しているわけで。
その点、餃子の王将は個人的見解だがバリューがあると思う。
京都王将ならではの面白みを皆さん見出してるわけで、実際、ワンコイン程度のラーメンはあるにせよ、それだけをもって京都王将の魅力と思って通ってる人はどれくらいいるだろう?
今回、王将ラーメンを食べたが、確かに京都のマイルド系豚骨醤油ラーメンで、だいぶ前に一時東京に進出した金ちゃんラーメンを思い出させるスナッキーな軽い味で、嫌いじゃないが、これだけで訴求力があるものという感じではなかった。
他のメニューが魅力だから、トータルで京都王将の価値を客が見出してる。
価格は時代とともに全体的に値上げしていってるし、このまま徐々に値上げしてもサービスや味がこのままなら極端に客が離れることはないように思う。
要は、また行きたくなって味だったり雰囲気で今後も応援したくなるような店だったらいい訳で、その店が長く続いてくれるよう、出来る範囲なら客側も協力するのではないか。それだけのものを店側が提供し続けてくれるのであれば。
当たり前だが、提供する側とそれを受ける側の関係ってそれ以上でもそれ以下でもない気がする。
そこにワンコインとか何やらというものが店側にとって続ける上で支障になるのであれば、不当に客側が押し付ける概念ではないし、店側もきちんとしたものを提供できているのであれば、必要以上に重荷に感じる必要もない。だって、時代とともに移ろいゆく価値であって、絶対にその値段でなくちゃならないものではないのだから。
そういったものを取っ払って真っ当に生きていける商売になってほしいし、客側も相応の対価を払えるような最低限の収入が得られる世の中になってほしいものだ。
仮に客側が500円以上の価値あるものに対して、それを払うだけの収入がなくとも、昔の時代に500円未満だったからとワンコインであることを強いるような世の中にだけはなってほしくない。客も苦しければ、店も苦しい。そのシワ寄せを店に求めれば、回り回って自分に帰ってくる。
今はただ、そうでない未来が訪れることを願うばかりだ。
←クリック戴けると狂喜します
今回も【Yahoo!ニュース】になったのだが、コメントはまぁ平穏無事というか無風状態だった。というのも、前回ラーメン1杯1000円という記事【前回記事】をUPして荒れたので、その口でワンコイン万歳みたいなこというか?という反応が出るかと思ったからだ。
多分、最後まで読んで、ライター名までチェックしている人間が少ない上、前回記事と同一人物かまで調べる人間がいなかったのだろう。それはそれで、自分の職業人としての資質が問われるので、危機ではあるのだが。
ともかく、前回は当ブログでもラーメン1杯の価格の底上げという記事を書いておきながら、なぜワンコインの恩恵は甘んじて受けるような内容にしたのか、誰からのツッコミはないものの一応説明しておきたい。
結論からいえば、店側がワンコインでいいと言っているのなら、そのまま受け入れればいんじゃないかって話。この一語に尽きるのだが、それでは話が終わってしまうので、もうちょっと詰めてみよう。
客単価では大差ない?
記事に書いたように、多くのラーメン専門店と違って、ラーメン一杯ワンコイン以下を実現している中華チェーンや町中華は、客単価をラーメン一杯だけで成り立たせていない。
それで比較すると、都心でラーメン一杯700〜800円する店がイコール客単価としたら、中華チェーンでの客単価は同等かそれ以上となる。専門店もトッピングやサイドメニュー頼む客もいるから、客単価としたらもうちょっと800〜900円くらい行くかもしれない。
なんにしても大体トントンくらいのレベルだと思う。中華チェーンは店の面積が広めで従業員も多く、地代や人件費、それに本部が持っていく分もあって出るものが大きい気がするが、1日で捌く客は多いだろうし、原材料費は専門店のほうがかかってるだろう。
そう考えるとますますトントンくらいかなと思えてくる。とすれば、ラーメン一杯で客単価に当たる800円近くを得られなければならい専門店が高いと言われ、他のメニューと合わせた単価を求める中華チェーンのラーメン500円が安いとか相応と言われてしまう。
ここにどうしても不公平感を抱いてしまうし、メディアで発信する立場の人間が余りこの点を声高に発信していないように思えてならない(ラーメン界からはだいぶ遠ざかっているので、そういうことを積極的に発信している人がいたら教えてほしい)。
一般の人は、直感的にラーメン一杯の値段で比較してしまうが、いやそうじゃなくてって部分をラヲタなり、ラーメンで情報を発信しているライターなりがもっと言って、理解してもらうようにしないと、いつまで経っても、昔ながらの醤油ラーメンはよかった的な話に帰結してしまう。
だから、そもそも中華チェーンや町中華などと、ラーメン専門店は出してる商品も商売の仕方も違うんだよと、『東京ラーメン系譜学』などにも書いてきた(なのに未だに書評で「こってりラーメンに偏ってる」とか書かれるしね。専門店というものが如何に確立されていったかを辿る以上そうなるって書いてるのに)。
よくよくお店で周囲を見渡せば、ラーメン一杯だけさっさと食って帰ってる店なのか、それとも複数人で来て皿をシェアしたり、一人客でもアルコール飲んだりして少しは長居してる客が多い店なのか分かると思うんだよね。
だからテーブル席が多いのかとか、入ってスグ食券じゃなくて客席から注文できるのかとか、店のサービスの違いで店の作りからメニュー構成などが専門店と中華チェーンで違ってくるのも納得が行くと思うんですわ。
そしたら、ラーメン一杯で利益を出さないといけないのかそうでないのかも自ずと見えてくるし、ラーメン一杯に掛けられる労力も違って当然でしょと。
どっちを好むかは行く人が決めればいいわけで、どっちで出してるラーメンが正しいとかそういう問題ではないのは明らかなはず。
専門店はこういう食材をどれだけ使ってみたいなアピールの仕方になっていくし、中華チェーンはあっさりした昔ながらのラーメンがこの値段で!みたいな売り方になってくる。
そこで、一杯のラーメンとしての価値がどうこうということになってしまいがちだが、ラーメンという商品の立ち位置が違うことが分かっていれば、単純に同じ商品としては比べられないことが見えてくる。
とはいえ、どうしてもラーメン一杯いくらで比べられてしまうのは、ワンコインというものに対して絶対的価値を見出してしまうからではないか。
ワンコインという幻想
前回ラーメン一杯1000円の記事でも書いたが、20〜30年前の500円と今の500円の価値は違うはずだ。なのに昔の価値のままの一杯500円程度のものとラーメンを見なしてしまうのは、経済的にデフレが続いたとはいえ、頭の中で一杯500円程度という価値感が固着してしまいアップデートされないままでいるので、今現在で500円以上すると高いと思ってしまう。
コスパという言葉があるが、コストというのはその時代に応じた物価に伴う材料費や最低賃金などから従業員の人件費等々を勘案して価値を判断するべきなのに、安い値段の割にボリュームがあるだけのものを指しがちで、その安いという概念がワンコインというイメージに近寄っている印象がある。
価格が時代とともに移ろう相対的なものであるはずなのに、何十年も固着した500円という絶対的価値に引っ張られてしまっている。それがワンコインというワードの持つ意味合いな気がしてならない。
仮に、20年に500円の価値があるものだったとして、それが現在も500円だったとしたら、当時の価値でいえば、300〜400円程度のものとなってしまう。
これはらーめん中村屋の中村さんとのYOUTUBE対談の最後で言ったことで、当時の500円の価値のものを販売しつづけたなら、700〜800円になるのは安いくらいで、それ以上の価値のものを創出できたら、1000円だって決して可笑しい数字ではないという主旨だ。その意味で、底上げしなくてならないと前回記事で書いた。
ラーメン専門店が客単価1000円となったなら、中華チェーンだって客単価1000円となってもおかしくないわけで、でもそれって現状と大して変わらない。だったらラーメン500円はそのままかもしれない。他の価格との兼ね合いで、一品料理とかが若干高くなるかもしれない。それだったら、中華チェーン高いとはならないでしょ。
とはいえ、昨年消費税も上がって、材料費も年々高騰しているはずだから、このままワンコインを維持するのもキツイにはキツイはず。
それで、全体的に少し値上げしますとかってなった時、ラーメンがワンコインで提供できなかったら、客は離れるだろうか?
中華チェーンのラーメンだったからこそ、ワンコインが妥当として消費していた客は、離れる可能性が高い。
色んなものを注文する業態とはいえ、ラーメン一杯だけでもOKだったからそれで通っていた客もいるわけで、そういう人も含めて平均の客単価だったわけだから、その人が他にワンコインやってる店に流れたら、これまで得られていたワンコイン分の利益を失ってしまう。
これをやったのが幸楽苑で、2015年、290円だったラーメンを520円にして客足が大幅に遠のいた。520円ってワンコインに限りなく近いが、幸楽苑ユーザーにとってラーメンは300円の価値だったから、それが1.5倍以上になったから、感覚的には500円のラーメンが800円近くになったようなもの。
(ロードサイドで主に展開する幸楽苑※写真は和光新倉店)
再び値下げし、現在は440円だが、今年1月に不採算店51店舗を閉鎖と発表された。19年夏まで好調だったが、台風19合の影響で下り坂になったことが理由という。そうなると、このコロナ禍でますます厳しい状況になることが容易に想像できる。
一度、低価格のイメージが固着すると、マクドナルドだって一時グルメバーガー路線に切り替えようとして頓挫したくらいだから、脱却するのは至難の業。客がその店に行く理由が安いから、になってしまうからだろう。安くなくなれば、別の安い店にいく。その客にとって、ハンバーガーは100円、ラーメンは500円といったワンコインという絶対的価値に紐付けされた時点で、価格が相対的な価値ではなくなってしまう。
安さでアプローチする店の限界
結果として実情に見合うワンコインならいいが、見合わないけど客の頭に固着したワンコインのイメージに乗じて、ワンコインなら客が釣れる的に価格設定したなら、限界があって破綻して当然だろう。その責任を当然客側が追う筋はない。
ラーメン以外のものも総じて客単価で700〜800円としている商売なら、そこに500円以上をラーメンで補うには、材料から何からコストを掛けなきゃいけないし、それに見合うものを現行のシステムで作れて、なおかつファンを納得させられるのか?
ほぼほぼ無理な気がする。だって、そうなると専門店と同じ土俵になるから、安いだけがアドバンテージにならない。物価の上昇とともに全体の価格を上げたら、今度は少し高級めの中華料理店とかが相手になってくる。
牛丼チェーン同様、デフレ時代に固着した絶対的価値を持つ層にアプローチした段階で、限界が見えているのかもしれない。
では中華チェーンのベースとなった商売で似たような客単価となる町中華の場合どうなのか。
町中華は特段、大々的にワンコインを謳ったわけではなく、大まかな価格帯は似ていても店それぞれに価格も異なれば商品点数も種類も違う。
大局を見れば、低価格帯ではあれ時代とともに徐々に値上げしていってるし、なにより安いだけで町中華が選択されているわけではない。安さを求めればそれこそ中華チェーン等いくらでもある。
そこにはやっぱり、味だったり居心地だったり人だったり雰囲気だったり、人それぞれ見出している価格以外の価値があるはずだ。それがあるから、少々値上げしても行くわけだし、店に対して安すぎるから値上げしなよ、という意見さえ出てくる。でなければ、町中華で飲ろうぜも孤独のグルメも成立しない。
こうした個人店ならではのバリューは、どこにでもありそうだけどそこでしか味わえないから生じるもので、ここがFCチェーンとの決定的な差なように思えてならない。
もちろん、チェーン系のほうが落ち着くという人もいっぱいいるとは思う。なら、同じチェーンでも、赤羽店はイマヒトツだけど、中野店は落ち着く、ということなんてあるのだろうか。これが結構ある。店の規模だったり立地だったり、デキる店員がいるとか要素は色々だけど、このブレって本来チェーンではなくしたほうがいいものであって、このブレ幅を良しとしているのが町中華とかの個人店ではないか。
狭くて少々乱暴な接客のほうがいい人もいれば、席にゆとりがあってアットホームな方がいい人もいる。それぞれに良さがあって、オレはこっちのほうがしい、あたしはあっちのほうが好きって選べる、それが店のバリューになってるんじゃないかと。
中華チェーンにバリューはあるのか
味でもなんでもいいんだけど、何かしらのその店ならではのバリューがあれば、店のやっていることに見合った価格、欲を言えばプラスアルファくらいの値段をつけたところでお客さんは離れないんじゃないか。
その意味で、個人レベルの町中華やラーメン専門店は時代に合わせて、ワンコインなどといった固定した価値に引っ張られず、物価等に見合った値段を堂々とつけてほしい。それが結果底上げとなって、よりサービスが向上して、従業員が労働に対して報われる対価を受けるようになるべきじゃないかと。
で、中華チェーンはどうかとなると、正直わからないし、ぶっちゃけ興味がない。散々記事書いといて申し訳ないけど、個人的にはそこまでのバリューを見出してないし、ワンコイン的価値を求める層をターゲットにした以上、もうずーっとその層を相手に商売するしかないんじゃないか。
この度の記事を書くにあたって幸楽苑でラーメン食べたけど、440円とは思えないクオリティではあった。
工場スープ臭くないというか、600円くらいで専門店で出てきてもおかしくはないとは思った。でも、それで本当に専門店で商売になるかというと、初めは食いついても、ずっとは難しいかと。
クセになる要素はないから、ハマるという感じじゃない。皆そこそこ美味しいとは思ってもしょっちゅう行かないから、その味一本でずっとの集客は限界がある。他のメニューも充実している部分も大きい。ただ、やはり安いからであって、600円したら値上げ前の値段で通ってた人は、以前と同じ頻度で通うだろうか? それは以前の値上げが証明しているわけで。
その点、餃子の王将は個人的見解だがバリューがあると思う。
京都王将ならではの面白みを皆さん見出してるわけで、実際、ワンコイン程度のラーメンはあるにせよ、それだけをもって京都王将の魅力と思って通ってる人はどれくらいいるだろう?
今回、王将ラーメンを食べたが、確かに京都のマイルド系豚骨醤油ラーメンで、だいぶ前に一時東京に進出した金ちゃんラーメンを思い出させるスナッキーな軽い味で、嫌いじゃないが、これだけで訴求力があるものという感じではなかった。
他のメニューが魅力だから、トータルで京都王将の価値を客が見出してる。
価格は時代とともに全体的に値上げしていってるし、このまま徐々に値上げしてもサービスや味がこのままなら極端に客が離れることはないように思う。
要は、また行きたくなって味だったり雰囲気で今後も応援したくなるような店だったらいい訳で、その店が長く続いてくれるよう、出来る範囲なら客側も協力するのではないか。それだけのものを店側が提供し続けてくれるのであれば。
当たり前だが、提供する側とそれを受ける側の関係ってそれ以上でもそれ以下でもない気がする。
そこにワンコインとか何やらというものが店側にとって続ける上で支障になるのであれば、不当に客側が押し付ける概念ではないし、店側もきちんとしたものを提供できているのであれば、必要以上に重荷に感じる必要もない。だって、時代とともに移ろいゆく価値であって、絶対にその値段でなくちゃならないものではないのだから。
そういったものを取っ払って真っ当に生きていける商売になってほしいし、客側も相応の対価を払えるような最低限の収入が得られる世の中になってほしいものだ。
仮に客側が500円以上の価値あるものに対して、それを払うだけの収入がなくとも、昔の時代に500円未満だったからとワンコインであることを強いるような世の中にだけはなってほしくない。客も苦しければ、店も苦しい。そのシワ寄せを店に求めれば、回り回って自分に帰ってくる。
今はただ、そうでない未来が訪れることを願うばかりだ。
←クリック戴けると狂喜します
コメント